親が”毒親”でも自立しないのは自分の責任
私は”毒親”というワードを使いません。
このブログを見つけてもらうため、記事内で使用しているだけです。記事内でも言及することがあまり無いので、毒親で検索されて来た方をガッカリさせていることでしょう。
これは個人的な考えですが、ご相談くださる方で”毒親”という言葉を使う方は、自分のことは棚に上げて、親を責める傾向が強いと感じます。
親の庇護が必要な10代なら話は別ですが、社会人(特に30代以降)にもなって、自分の意思で実家暮らしを続けながら「毒親なんです!」と、一方的に親を非難するのはいかがなものでしょうか…。
うつ病でも実家暮らしができない方は、病を押して働きながら一人暮らしをしています。同じ様にしなさいとは申しませんが、より厳しい状況にいる方の存在を知ると、何らかの参考になるでしょう。
毒親とあなたの共通点
もちろん、母娘問題で悩む方のお気持ちは理解できます。でも私の経験からすると、自立できる年齢にもなって、自立しない言い訳に「親」を使うのは、正直もったいない生き方だと思います。
私の考える自立とは「エゴの克服」です。エゴ(自己否定の思い込み・自己防衛意識)の殻に閉じこもっていても、自分らしく生きることはできません。
「自分は悪くない」とエゴにしがみついて「人生の責任」から逃げる人は、幸せになる資格が無いと私は思います。心穏やかに暮らすには、自分の弱さと向き合う決断が必要です。
毒親もあなたも、自分以外の誰かを言い訳にして「自立と成長」から逃げているのは同じですよね。現実(葛藤)から逃げるほど、悩みは大きくなるだけですよ。
あなたはどうしたいですか?
実はここ最近「自立する責任」を放棄して、すべてを”毒親”に責任転嫁する傾向が気になっており、この件に関して記事を書かなければと思っていました。
そんな中、斎藤学先生のご著書『「毒親」の子どもたちへ』に関するレビューを見ましたが、本の内容を批判するレビューだけが支持されています。
斎藤先生はアダルトチルドレンの権威です。本の内容を高く評価するレビューを読む限り、毒親批判ではなく自立を促す内容と推測します。
カウンセラーやセラピストなら納得する内容だと思いますが、低評価の方は、親への怒りを著者に投影しているだけではないでしょうか。
実際のご相談でも、「自分の甘えを満たしてくれるに違いない」という無意識の期待(エゴ)がある相談者は、甘えを指摘されると「裏切られた」と感じるようです。
いくら私が元アダルトチルドレンだとしても、今は「自立支援」を目的として活動していますから、相談者を子供扱いするわけにはいきません。
傷ついたお気持ちには寄り添いますが、「甘やかし」と「自立に必要な甘え=受容」は違います。「あなたは悪くない」という言葉を期待することが依存(エゴ)です。
すでに育ち上がった大人である以上、自分の人生の責任は自分にあります。本気で相談者の将来を思うからこそ、何でも肯定するわけにはいかないのです。
私もセラピーで自立できましたが、やはりセラピストさんの厳しさと慈愛が支えとなりました。「現実」から逃げている人は、自由を求める資格もありません。
あなたが親よりも成長すれば、問題は解決します。自立と成長の決断をするまでは、親への怒りと恨みに苦しむしかないでしょう。
苦しみを終わらせたいと心底願うとき、ようやく次の扉が開かれるのです。この扉は内側からしか開かないので、あなたの決断が扉を開けるカギとなります。
自立は強制されてやることではなく、自発的な欲求です。私ができることは、手を差し伸べて立ち上がれるよう支援すること。
自分の足で立とうともせず、抱っこをせがむ”大きな子ども”を、無理やり立たせることはできません。私が行っている「自立支援」をご理解いただける方と、一緒に成長したいと願っています。